早くも秋雨前線でしょうか。
シトシトと冷たい雨が降っています。
今日は小田原漁港から出船してのんびり沖で過ごすつもりでいましたが、朝の豪雨により乗船を取り止めました。
ただし、雨など関係なく沖では相変わらずでっかいキハダが跳びはね、釣り人のロッドを曲げているようですが……。
午後には雨が止みそうなので、のんびりバス釣りにでも行ってこようかとおもっています。
ともあれ、午前中は原稿書き。
庭の花たちにとっては恵みの雨なのでしょうか。
雨粒をたたえた植物が大好きです。
しっとりと、艶やかに……。
かつて一緒に仕事をさせていただいたことのある写真家の大御所いわく……、
「乾いた木々なんてつまらない。しっとりと雨に濡れた緑が美しい。そうは思いませんか?」
そのときぼくは、「確かにそうですね」と心の底から答えました。
雨が降って嫌なのは、カメラが濡れてしまうから……、そう、ただ単に人間の都合が優先されていただけのことだったんだ、と気付かされたのでした。
同じように、人間の都合だけで自然を判断してしまうことが度々あります。
つい先日手にした釣り雑誌の中にも、「ヒラスズキは、海があまり荒れていない方がよい。いったん白泡が消えてしまうぐらいのサラシがちょうどよい……」といった(確か)内容のことが書かれていましたが、これなどその典型的な例といえます。あまり荒れていない方が丁度よいのは、荒れた海で思うようにゲームが展開できない未熟な釣り人サイドの話であって、魚は、ましてやヒラスズキは荒れた海が大好きなのです。
どの程度の波まで釣り人が挑めるか。
どの程度の風まで釣り人が耐えられるか。
自然の中ではちっぽけな話です。
自然はもっともっと雄大で偉大で過酷です。
自然をコントロールすることも、自在に操ることも、ましてや全てを把握することなど到底できません。
だからぼくは、「シーバスをテクニックで引きずり出した」などという言い方は絶対にしません。
“あるタクティックスで挑んだら、シーバスが反応してくれた” だけのことと考えるからです。
<目の前にある自然を素直に受け入れ、できる限り順応してゆくこと>
それが、50歳を過ぎたぼくの目標です。
それにしても、
この花のように、完璧に雨水を弾き続けるレインウエアは作れないものなのでしょうか。
やはり、自然は何気ない風でいて偉大です!