どれほど時間に追われていようと、どれほど仕事が詰まっていようと、行きたい釣りへ出掛けたリ、仲間たちと飲みに行ったりする時間は絞り出すよう胆に銘じている。「人生はそう長くない」と、心底感じているからだ。
「人生は長くない」……とは、よく言われるフレーズである。「何をいまさら」とおもっている人も少なくないだろうが、果たして、実感としてとらえている人がどれほどいるのかは、はなはだ疑問である。
「人生は長くない」と知識では知りながら、わが身に重ねて認識するのが遅すぎるケースが多いようにおもわれるのだ。
好きなことを好きなだけやって人生を全うしたい、とおもうのは、一つの理想論なのかもしれない。やりたいことが多すぎれば、当然全てを手掛けることは物理的に不可能である。ゆえに、あらゆる場面での取捨選択が重要になってくるのだ。
そんなことを考えつつ、時を無駄にせぬよう日々を送っているつもりなのだが、目いっぱいというにはまだゆとりがあるのかもしれない。少なくとも、自らの仕事と、親たちの世話や介護に追われっぱなしの家人の目には、のんびりした毎日を送っているように映っているようなのだ。
子供たちが卒業し、それぞれ仕事に就いてホッとしたのもつかの間、図ったように親たちの世話や介護や介助が始まる。
それが終わるころには「今度は自分たちが世話をされる番に違いない」とおもえば、残された人生はあまりに短いと改めておもう。
「悠々と急げ」と言ったのは、開高健であった。
焦らず、慌てず、取捨選択を間違えぬようにしながら、一つでも多くの所業を手掛けてゆきたいとおもっている。
やりたいことが、まだまだ山ほど残っているのである。
こんにちは
強く同意します
私は村越さんよりも一回り若いですが、常日頃からそう思い、多少無理してでも釣行を重ねております
とはいえ、守るべき家族もおり、自己中心的な行動ばかりというのは許されません
「あの魚を釣れば一区切り」「〇〇センチ以上を釣れば一区切り」と思いつつ、成し遂げたとしても、新たな目標が次々と現れてきます
「長くない人生」はそれの繰り返しで過ぎていく気がします